2014.6 タリン(エストニア)


世界遺産に指定されている旧市街の入口(ヴィル門).花屋が左側に並んでいます.

 


旧市役所.時間帯に依っては内部を見学出来ます.

 


旧市役所前では日によってマーケットが開きます.

 


旧市街はところどころに城壁が残っています.

 


1529年に建設された砲塔,「ふとっちょマルガレータ」.

 


タリンの市内は路面電車も主要な交通手段です.

 


城壁にそって立ち並ぶ「セーターの壁」.ウール製品の露店が並びます.

 


聖ニコラス教会の「死のダンス」.王侯貴族が死神とダンスをいやいや踊っています.

 


エストニア野外博物館にて.夏至の前日でお祭りでした.撮影時は22時で雨で冷え込み,たき火が暖かいというところです.

 


以下はエストニアの暗い歴史.
13世紀にデンマークがタリンを支配.
1561年にスウェーデンが北部エストニアを支配.
1710年にロシアのピョートル大帝がエストニアを支配.


帝政ロシア占領時代の1900年に完成した,アレクサンドル・ネフスキー大聖堂.

 

1918年にエストニア独立宣言.1920年にタルトゥ (Tartu) にてロシアと平和条約締結.

 


エストニア独立戦争戦勝記念碑.第一次世界大戦の後,独立を達成.この近くに日本大使館があります.

 

1939年独ソ不可侵条約締結.同時にモロトフ・リッペントロップ秘密協定により,ソ連の勢力範囲に.
1940年,ソ連軍が侵攻

 


占領博物館.1939年から独立宣言の1991年までの暗い歴史を,映像と展示物で詳細に解説.

 


タリンの中心部にそびえる Hotel VIRU.旧ソ連時代の1972年に完成.

 


Hotel VIRU の1階奥にある KGB Museum のガイドツアー出発地点.

 


ホテルの『最上階の上』にあった,KGB の執務室.机の上にある新聞の肖像画は書記長だったブレジネフとアンドロポフ.

 


もう一つの部屋.「ここに何もありません」と書かれています.

 


何もない訳が無く,通信機器などが置かれていました.

 


隙間からでも広範囲が見渡せるカメラ.このホテルは盗聴器がいたる部屋に仕掛けられ,会話などが傍受されていたとの事です.


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